長崎の心療内科 もとやま心のクリニック コラム「LOUNGE-5月号」 「5月病」の通年化

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コラム「LOUNGE-5月号」 ―「5月病」の通年化―

(2011年5月6日掲載)
 ようやく長いゴールデンウィークも終わり、再び日常の仕事や学校が始まります。この時期に、4月までの気力の充実が感じられなくなる現象を5月病と呼びます。5月病とは、急に学校に興味を失い無気力になったり、急に仕事に対する関心や意欲を失う状態です。4月は、入学や入社に限らず、職場異動や進級など新しい環境に適応するために多大なエネルギーを使います。たとえ自らの環境変化はなくとも、周囲のスタッフやクラスメートに入れ替わりがあります。その結果、心身に様々なストレスがかかり、知らぬ間に消耗しているのです。期待に胸ふくらませているほど、現実とのギャップを感じることも多く、そのことが失望感をきたしこの状態を助長します。精神的にはやる気が出ない、根気が続かないといったことから、身体的には頭痛や吐き気、めまいなどが生じます。一時的に改善する場合が多いのですが、長引く場合は治療を要します。
 最近では、最初から学校や職場に多くの期待を抱かず、力半分で臨む人も多く、この場合はさしたる失望感もなく、エネルギーの消費も少ないので、明確な心身の不調はきたしません。「しらけ」とでも表現したらよいでしょうか。ちなみに時代を遡ると、しらけ世代という1950年から1960年前半生まれの世代があり、世の中に対する無関心を強く抱いて成長し、「無気力・無感動・無関心」の3無主義を中心とする風潮がありました。まさしく私自身の世代でもあり、学生運動も終焉を迎え、個人主義に徹する時代でした。むしろ、積極的自由の側面から、個々人の潜在的な可能性と自己実現を目指しました。一方、個人の無制限な自由はかえって当人を不安定にする要素も含んでいました。
 この視点から昨今の5月病を見直しますと、明確な目標を見失いアイデンティティーの喪失に陥り「なぜ生きているのか」という問いが面接室に持ち込まれますが、このような現象は、5月に限らず年間を通してみられます。いつでも気分の問題は生じやすく、軽度の抑うつ・無気力が持続するという人が増えてきたのです。このなかに「気分変調症」という、軽度の抑うつ気分、広範な興味の消失や何事も楽しめないという感じが、長い期間(2年以上)続く方がいます。定型的なうつ病と異なり、薬物治療や環境調整にとどまらず、その人の性格や生き方に踏み込んだ関わりを要します。気分変調症では、疲労感が持続したり、「自分は価値がない」という考えや、自己嫌悪感や罪悪感を伴うということがよくあります。「いつもみじめに感じている」と表現され、極端な場合、「生まれてから、ずうっと、ゆううつだ」というような訴えがなされます。さらには、社会から引きこもってしまうこともあります。このような明確な答えの出しにくい状況を生き抜く知恵として、究極の自己肯定に至る「超人思想」を説いた、“ニーチェ”の思想が最近もてはやされているのもうなずけるのです。

―待合室で読める本から―

「発達障害に気づかない大人たち<職場編>」 (祥伝社新書) 星野 仁彦 著
 職場でのコミュニケーションがうまくいかずに、周囲も本人も困っているケースのなかに、“片づけられない、すぐキレる、話を聞けない”大人たちがいます。「大人の発達障害」の実態から治療法、日常生活での注意点やサポート方法までを解説。
「日本人の<原罪>」(講談社現代新書) 北山 修+橋本 雅之 著
 うつ病発生には日本人特有の定番の物語があるとして、日本神話を活用することによって「生きる」人の悲劇を考え直そうとしています。神話・昔話にみられる「見るなの禁止」物語を精神分析家と国文学者が捉え直す日本文化論。
「図解でわかる! ニーチェの考え方」(中経出版) 富増 章成 著
 人生の苦しみ、たとえば“仕事でいきづまる、家庭に問題がある、健康に不安がでてくる”などについて、ニーチェの哲学は精神の苦境を乗り越えるために私たちの精神を鍛えてくれます。難解と言われるニーチェの哲学を、ニーチェの人生を追いながら、わかりやすく解説。
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